congo saxophone studio 横濱元町

サックスに関する演奏、個人レッスン、リペアのサービスを提供しております。
日本サクソフォン協会賛助会員
金剛督
横浜市中区元町1-77-8
045ー641ー4164
[email protected]

サックスレッスン

サックス生徒さん募集中です。
サックスの基本的奏法をしっかり学びたい方へのレッスンです。
サックスをジャンル(ジャズ、クラシック等)分けして捉えるのではなく、もう少し前の段階からのレッスンです。
サックスは管楽器の中でも唯一発明された楽器です。
故に非常に機能的で扱いやすく容易に音の出やすい楽器です。
しかしこの容易さが罠となって待ち構えているとは最初は誰も気付きません。
サックスは音程や音色など自分で創り上げていく作音楽器でして、最初から誰でも音の出せる鍵盤楽器や打楽器とは根本的に異なります。
しかしサックスの容易性が逆に悪癖をつけやすくするのも事実です。

楽器を手にして最初の呼吸等々を含む基本的奏法が非常に重要となってきます。
長く人生と音楽とサックスを楽しむためにcongo saxophone studioが提供する速く確実に上達するレッスンをお受け下さい。

先ずは3秒で出来る腹式呼吸から始めましょう。
無料体験レッスンを是非受講してみて下さい。
特に高齢者の方、初心者の方、大歓迎です。
このページの下に、健康とサックスについて私の経験を基に書きました。
お気軽に問い合わせ下さい。

mail [email protected]

  • なおレッスン時間は月曜日を除く毎日
  • 11時から17時まで。
  • 完全予約制となります。
  • 1レッスン50分/5000円
  • 入会金/15000円
  • 体験レッスンをどうぞお受け下さい。
  • お待ちしています。

 

私はエキスパートである以上に、情熱とスキルを持って力を発揮する人間でありたいです 。

サックスリペア

サックス専門メーカー勤務20年の経験と、現役演奏家としての経験からのサックスリペアサービスです。
 私がヤナギサワ管楽器に在職した20年間で製造に携わったサックスの数は120、000本にのぼります。
その間上司や部下と共にバンドを立ち上げ会社公認の音楽活動を行ってまいりました。これは楽器製造者にとって意味のある活動でした。
その意味とは、
それまでサックス製造者と演奏者とは全く別の世界だという認識が日本にありました。それは奏者が楽器メーカーを興した例の多い欧米との歴史の違いかと考えます。鳴り響きや音色音程を追求しての欧米メーカーと、その製品をコピーから始めた日本との違いと言っても良いかもしれません。
その歴史からくる楽器への認識を少しでも変えたいという思いで始めたのが、社内でのバンド活動やレッスンでした。
私のリペアは音楽する立場から行うリペアです。
メーカー在職時、私は楽器開発や製造及び製品管理に携わりました。
この経験からサックスのリペアに関する技術を幅広く習得することができました。
私のリペア技術はサックスメーカーで得たものです。
そして私は1996年Congo Saxophone 工房、(のちcongo saxophone studio )を設立しました。
音楽が好きだから、サックスが好きだからこそお客様とのコミュニケーションを大事にするサックスリペアを心がけています。
多くの調整方法を用意しておりますので、その中からお客様との対話を通して最適な調整を選んでいきたいと思います。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。

完全予約制となっております。
お気軽に電話もしくはメールにてお問い合わせ下さい。
全国より宅急便にてサックスリペア、オーバーホールも承ります。
電話 045 641 4164
[email protected]
金剛督

世の人すべてにそれぞれが情熱を持って取り組める何かがあると思います。お仕事の場合、それはお客様のためであることが多いですが、自分自身の成長やスキルの向上のためとなることもまたあり

横濱音始め


 1667年頃からフランスで始まったサロン文化を近代西洋音楽の始まりと考えるなら、東洋の我が国が自ら西洋音楽を求め導入したのは、1854年徳川幕府の開国政策決定後、ここ横浜においてである。
 各種輸入文化のなかでも、西洋音楽の教育 演奏 楽器の製造 修理等は、一部のキリスト教宣教師による賛美歌や唱歌教育を除き、政府主導方であった。つまり洋式軍事体制の一環として導入された訳で、当然教官もフランス軍楽隊金管奏者のギュティングや、アイルランド出身の英国陸軍軍楽隊隊長ジョン・ウイリアム・フェントンらであった。サクソホーンについてだけ調べると、前記のフェントンやダクロンという人達が教官として名を残している。
 また彼らは薩摩藩の要望で1869年、楽器をロンドンのベッソン(Besson)社,楽譜は楽器製造も兼ねたブージー(Boosey)やホークス(Hawkes) フランス系のラルール(Lafleur)から輸入していた。(後にベッソン、ブージー、ホークス社は合併された。)ちなみに私はブージーのCメロサックス ロウA♭付き 43241番を所持している。
 さて早くも1871年頃東京には、かなりの楽器製造業者が存在していた。海軍が残した文献によると、東京仲門町2丁目22番地 ラッパ職人 富五郎 30歳を雇い入れたとある。しかもフルートの製造技術も持っていたとの事。
 私が勤務していた柳澤管楽器株式会社、当時大変お世話になった故柳澤孝信会長からお聞きした話によると、昔は飾り細工屋、板金屋、御神輿を作る人など、このような職人さん達が楽器製造業に移ったらしい。会長の先代は手品の仕掛けを作って居たとのこと。その後Nikkanの創始者の一人として歴史を作り現在の柳澤管楽器へと続く。
 しかし欧米においてアドルフ サックス、セルマー、バック氏などのプレーヤーが楽器制作や製造業を興すのに対して、我が国の楽器製造はやや違う道を踏んで来たように思う。それは我が国の楽器製造者の意識が、ただ音楽の道具を作るという方向に向かいすぎ、あまり音楽そのものには目がいかなかったのではないのか。音楽する心、いわゆる歌がそこには無かったように思う。長らく楽器制作者側と演奏者側との間に距離があったのもそれが一因かもしれない。もっとも演奏者側も舶来楽器崇拝主義ではあったが。
 1980年以降は我が国の若い演奏家は、国産楽器への偏見はもう無く、制作側は演奏家の意見を多く採り上げる様になった。演奏家の技術や音楽性が飛躍的にのびたのと、世界に通じる国産サクソホーンがこの時から作られる様になったのは、決して偶然ではない。


‐ 千里の道も一歩から ‐ かつて我々は小さなスタートを切りました。そして同じ夢を目指す同士が集まり、今日これだけの規模に成長することができたのです。

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