column 日本のサックスの歴史


 1667年頃からフランスで始まったサロン文化を近代西洋音楽の始まりと考えるなら、東洋の我が国が自ら西洋音楽を求め導入したのは、1854年徳川幕府の開国政策決定後、ここ横浜においてである。
 各種輸入文化のなかでも、西洋音楽の教育 演奏 楽器の製造 修理等は、一部のキリスト教宣教師による賛美歌や唱歌教育を除き、政府主導方であった。つまり洋式軍事体制の一環として導入された訳で、当然教官もフランス軍楽隊金管奏者のギュティングや、アイルランド出身の英国陸軍軍楽隊隊長ジョン・ウイリアム・フェントンらであった。サクソホーンについてだけ調べると、前記のフェントンやダクロンという人達が教官として名を残している。
 また彼らは薩摩藩の要望で1869年、楽器をロンドンのベッソン(Besson)社,楽譜は楽器製造も兼ねたブージー(Boosey)やホークス(Hawkes) フランス系のラルール(Lafleur)から輸入していた。(後にベッソン、ブージー、ホークス社は合併された。)ちなみに私はブージーのCメロサックス ロウA♭付き 43241番を所持している。
 さて早くも1871年頃東京には、かなりの楽器製造業者が存在していた。海軍が残した文献によると、東京仲門町2丁目22番地 ラッパ職人 富五郎 30歳を雇い入れたとある。しかもフルートの製造技術も持っていたとの事。
 私が勤務していた柳澤管楽器株式会社、当時大変お世話になった故柳澤孝信会長からお聞きした話によると、昔は飾り細工屋、板金屋、御神輿を作る人など、このような職人さん達が楽器製造業に移ったらしい。会長の先代は手品の仕掛けを作って居たとのこと。その後Nikkanの創始者の一人として歴史を作り現在の柳澤管楽器へと続く。
 しかし欧米においてアドルフ サックス、セルマー、バック氏などのプレーヤーが楽器制作や製造業を興すのに対して、我が国の楽器製造はやや違う道を踏んで来たように思う。それは我が国の楽器製造者の意識が、ただ音楽の道具を作るという方向に向かいすぎ、あまり音楽そのものには目がいかなかったのではないのか。音楽する心、いわゆる歌がそこには無かったように思う。長らく楽器制作者側と演奏者側との間に距離があったのもそれが一因かもしれない。もっとも演奏者側も舶来楽器崇拝主義ではあったが。
 1980年以降は我が国の若い演奏家は、国産楽器への偏見はもう無く、制作側は演奏家の意見を多く採り上げる様になった。演奏家の技術や音楽性が飛躍的にのびたのと、世界に通じる国産サクソホーンがこの時から作られる様になったのは、決して偶然ではない。


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