全く無駄なく予定通り治療が進んでいるのを感じた。
2010年4月28日
癌細胞で通常より2倍近く肥大していた膀胱も一回目の抗がん剤治療で相当小さくなっていた。
レントゲンで見るその違いに僕自身が驚いたほどである。
同時に希望も見えて来た。
「もしかしてこの闘いに僕は勝つことができるかもしれない」
結果が良く手術日も直ぐに決まった。
手術に関していろいろな説明を受けた。
僕は助かるためであれば全てを受け入れる覚悟はすでに出来ていた。
手術には12時間ほどかかる大手術であること。
出血が相当予想されるためあらかじめ多めに輸血用の血液を用意する。
術後障害者として生きて行かねばならないこと。
等など。
他に細かい説明も多くあったが記憶に残っているのはおおよそ上の3点である。
しかし開腹してみると思ったより状況は悪かったと後で主治医から訊かされた。
膀胱は癒着し切除する際に予想以上の大量出血となった。
前もって輸血用血液を多めに用意していたのが幸いした。
時間が前後する書き方となったが、手術日当日の3日前から落ち着きが徐々になくなってきた。
食事も手術前用の特別なものに代わった。
手術一日前は絶食。
手術当日泌尿科で腸を洗浄され安定剤等の薬を呑まされた。
朝9時移動ベッドで手術室に送られた。
家族や同室患者、泌尿器科の看護婦さんが見送ってくれた。
手術室に入り泌尿器科の看護婦さんから外科の看護婦さんに引き継がれた。
手術前日に説明に来てくれた外科看護婦さんだった。
担当ではないが、僕のサックスの生徒でもある麻酔科のI先生も時間を作って手術に立ち合ってくれた。
深謝!
麻酔科の手術決行のOKが出た。
麻酔をかけられて1秒もしないうちに記憶がなくなった。
これほど抗がん剤とは強力なものかと改めて感じた。
2010年4月30日
麻酔科医の「数を数えて下さい」という言葉で1まで数えた記憶はあるがそれ以降は記憶がない。
朝9時に泌尿科病棟を出発して術後集中治療室に戻ってきたのが夜10時。
予定通り12時間の大手術だった。
夜10時という数字はあとで訊いた。
意識がうっすらと戻ってきた時最初に声を掛けてくれたのが主治医の先生。
「手術は成功しましたよ」
僕はゆっくり先生に握手を求めた。
その後意識がはっきりしてくるのに伴い腹部の猛烈な痛さも感じてきた。
痛めどめの麻酔が効かなかったらしい。
麻酔液を補充すると少し楽になり眠りに入った。
長時間口から鼻からチューブを入れられていた。
咳がでる。
この時腹部に激痛がはしる。
ではあるが結石の激痛ほどではなかった。
それとはまた異なる痛さ。
時期は花粉の飛び交い始めた頃。
これでくしゃみでもしたら腹部が開くのではないかと本気で心配した。
そのことを看護婦さんに言ったら笑われた。
集中治療室での2日目である。
この日家族から話を聞かされた。
途中手術室から先生が出て来たので様子を聴こうとしたらピリピリした空気でそれどころでは無かったという。
多分その時膀胱の癒着が見つかり予想外の状況下だったのではないかとあとで知った。
咳は少なくなっていた。
くしゃみも1〜2回出たぐらいでそう心配することもなかった。
これは普段腹式呼吸による楽器吹奏の訓練の賜物ではないかと考えた。
術創からは大量の水がしみ出ている。
定期的に術創の消毒としみ出た水がしみ込んだガーゼの取り換えが行われた。
これで治療の大きな山が過ぎたわけだがまだまだ安心出来なかった。
摘出した臓器から転移の可能性を調べるのだ。
検査に1週間かかる。
これが勝負の分かれ目だなとベッドで考えた。
2010年 6月16日
集中治療室にいる間勿論口経では食事や水は採れない。
頭の上に枕ほどの大きさの袋がぶら下がっている。
その袋から管が伸びその先は針になっていて僕の首に走る血管に直接栄養を注入する仕組みになっている。
枕ほどの大きさの袋に僕が生きていくうえに必要な栄養が入っている。
集中治療室に入って4日目の朝。
「そろそろここを出ましょう」と看護婦さんに言われた。
「えっ!?」
他に何か言おうとしたがおかまいなしに起こされた。
12時間の手術。
腹の中の臓器はあちこちメスで切ったり張ったりしてある。
そんななか4日目に歩いていいのか、、、、?
ここから元の4人部屋までは30メートルぐらいあるぞ、、、、!
看護婦さんはただ「大丈夫!」としか言わない。
ただこの集中治療室から早く出たいと看護婦さんに昨日喋ったのは確かである。
なるほど、そういうことか。
栄養袋と点滴液がぶら下がった点滴台を杖にガラガラそれを引きずりながら4人部屋に
戻った。
看護婦さんに支えてもらってはいるがほぼ一人での作業だった。
30メートル歩くのにどのくらいの時間がかかったのだろうか、、、、
覚えていない。
4人部屋病室に入り「帰ってきました」と挨拶してから自分のベッドに横になった瞬間気絶した。